レジリエンス=回復力を身につける方法

レジリエンス=回復力を身につける方法


自分で意識する、自分で考える事から、幸せになる事も、鬱を治す事も始まる。

そして朝日を浴びる。日光浴をする。歩く、動く、有酸素運動をする。

(自分が発している言葉と、自分が近づく事も大事。)


私達は無意識=パラダイムで生きている。

その無意識が不健康であれば、ネガティブ思考になり、やがて鬱になる。

無意識を健康にヘルシーにしていくには、意識する必要がある。


無意識に嫌なこと、後ろ向きな事、例えば「私は悪くない、悪いのはあいつだ」とか

「私がこうなったのは、誰も助けてくれないからだ」とか

「世間・天気・政治・経済が悪いから、私の収入や地位が良くならない」とか

そういう風な思考スタイルで生きていると、主体的の対極に生きる事になる。

主体的の対極は受動的であり反応的である。他責人間であり、利己的人間である。


そういう人間は自分のしたいこと=Wantが圧倒的に少ない。

他人の間違いや他人を批判する事でしか、自分を優位にする方法がない。

他人がいなければ自分は生きられない。意味がない。

他力本願であり、自分で一から創り上げる事ができない。

常に他人に寄りかかって依存しているのに、それに気づくこともないし、その事から逃げて生きていくしか方法がない。


Wantがある人は違う。受動的に生きる必要がない。

したい事があるから、人の意見を聞く必要もないし、人を批判する必要もない。

自分のやりたい事が明確だから、それをするだけで充足感を味わう事ができる。

他力だとそれがない。充足感を得られない。常に物足りない。


反応的というのは、自分で生み出す事が出来ないから、インプットにばかり走ってしまう。

何も努力をしなくても入ってくる情報だけをただただ吸収するだけ。

スマホ依存、SNS依存、TVや動画、ネットを暇つぶしのために只々見続ける。

インプットばかりで、アウトプットがない。

考えない、意識しない、ただただ来たものを吸収してインプットしていく。

何の価値もない、ゴミ同然の情報が溜まっていく。

アウトプットは断捨離であり、掃除であり、デトックスである。

ゴミが溜まって、掃除も整理もしないと、行き着く先はゴミ屋敷である。


私達はゴミ屋敷には生きられない。

ミニマリストになる必要はないが、ゴミ屋敷には生きられない。

アウトプットは大それた事でも素晴らしい事でも高貴な事でもない。

ただの断捨離であり、デトックスである。

要らなくなったものをただ捨てるだけの作業。

素晴らしかった情報も知識もやがて賞味期限が切れて陳腐するものもある。

それをカビが生えるまで置いておく必要はどこにもない。


感情も水や空気と一緒で淀んで濁っていく。

浄水器や、空気清浄機や換気をする事によって、循環させる事も必要。

綺麗な状態を保っていれば快適に過ごすことができる。


モノが増えて、散らかって、洗い物や洗濯物が溜まる事もある。

水や空気が滞って淀む事もある。

その度に、掃除をして、断捨離をして、換気を行うように、

アウトプットしてデトックスすれば良い。


風邪を引いて、熱が出なくても、心は風邪を引く、熱を出す。

ゴミや洗い物ののように、嫌なことやしんどい事、上手くいかない事は溜まっていく。

それを溜めておいてはいけない。なぜならやがて病んでしまうから。

散らかったら片付ける、ゴミは捨てる、空気は換気する、花の水は入れ替える。

それと同じように、溜まった知識や感情は整理する、アウトプットする。

旅行や温泉に行く、映画を観て、音楽を聞いて、感動する、笑う、泣く事でデトックスする事もできる。


アウトプットはテクニックである。短期的な方法である。

短期的な方法は続ける事で、長期的に持続可能な習慣になる。

長期的に持続可能であるためには、主体的でWant=したいという気持ちが最も重要である。

主体的である事(Want)と+人の役に立つ事が重なれば、私達は充足感に包まれて、生きる目的を見つける事ができ、それがミッションステートメントとなって、そのためだけに生きることができるようになり、それを達成することがマズローの最高欲求の自己実現に繋がる。


私は他責だった。うまくいかない事を人のせいにして逃げた。

人を憎んでも恨んでも問題は解決しないのに。

その事が心を支配した。自分が正しい間違っているは関係ない。

そういうネガティブな感情が私をまたあの鬱という病に連れ戻そうとした。

どうしても抑える事ができなかった。

私はどうすればよかったのだろう。

許せばよかったのか。第3の案を考えようと提案すればよかったのか。

どちらにせよ、WinWinという考え方が欠落していた事は間違いない。


私はこの2日間、外にでる事が出来なかった。その気力を完全に失った。

でもそれではいけない、何も解決しないのは分かっていた。

分かっていても、できたのは、Netflixで映画とドキュメンタリーを見続ける事。

ネガティブな思考から逃げる事。とにかくインプットを続けた。

心を揺さぶられる何かで、自分のこの感情に蓋をして、忘れようと努力した。

でも根本的な解決にはならない。長期的で持続可能な方法ではないからだ。


でも自炊をし、片付けをし、洗い物をしたら少しは落ち着いた。

支配されていた絶望的な思考や感情から少しだけ解放された感じがしたし、

外に出ようという気になった。

犬の散歩に出かける事もできた。朝日を浴びる事もできた。

数日どころか何日もやる気にならなかった執筆も再開しようという気持ちが少しは湧いてきた。


動くこと、現状を変えようとする事、具体的には掃除だったり、洗い物だったり、自炊だったり。これらに共通している事は、主体的になるという事。

しばらく開けなかったKindleで本を読んだ。それも良かった。

ShouldではなくてWant。変わりたいという気持ちと意志。

それだけが、唯一のネガティブからポジティブに変わるきっかけを与えてくれる。


2日かかってしまった。でも2日で自分を取り戻す事ができた。

闇に包まれている時は、またぶり返してしまった。もう戻れないかもしれないと不安で不安で仕方が無かった。

それがたった2日で戻ってくる事ができた。立ち直せる事ができた。

これこそがまさに回復力=レジリエンスである。

こうやって自分はレジリエンスを手に入れた。

嫌なことやネガティブな思考に取り憑かれたとしても、自分は必ず自分の力で戻ってくる事ができる。

それが何日もかかるかもしれないけど。前のように何年もかかるという事はない。


何日も滞っていた執筆を、リスタート・再開するぞ。

今日は3000千字以上は書かないといけないかもしれない。

Shouldではなく、Want。執筆はWant。できる。自分ならできる。

1130日発売にむけて。できる。心配するな。





よろしくお願いいたします。

Best Regards,
Yuma

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